昨日のテレビで、天正遣欧使節の悲劇的話をみた。
また今日の新聞ではこの船に日本人奴隷が同乗していたという記事。
昨年、大村市で使節の銅像をしっかり見てきたので、感動が深い。
派遣したのは、 大友宗麟、大村純忠、有馬晴信ら九州のキリシタン大名で、選ばれたのはその血縁だった、伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノの4名だった。
テレビでは5名と言っていたようだが、助手的な少年が3名いたし、技能者も数名同乗しているので、新聞の奴隷という表現もあやしい気がする。
伊東マンショは1612年に長崎で死去。千々石ミゲルは後に棄教。
最後まで殉教したのは中浦ジュリアンで、後年、司祭に叙階。1633年、長崎で穴づりによって殉教。(2007年に福者に列せられる。)
原マルティノは後年司祭に叙階。しかし1629年、追放先のマカオで死去。
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