2021年1月16日土曜日

安野光雅

 私の好きな画家、安野光雅氏が、12月24日になくなった。私と同年の大正15年生まれである。この年代の画家は少ないので、経歴をしらべてみた。

やはり戦中戦後の混乱期なので、青年期はかなり屈折した経歴であった。



1926年(大正15年)3月20日、島根県津和野町の旅館を営む家に生まれる。

1940年(昭和15年)山口県立宇部工業学校(現・山口県立宇部工業高等学校)採鉱科に入学。1944年1月、宇部工業学校を繰り上げ卒業、住友鉱山に就職し忠隈鉱業所(飯塚市)へ

1945年4月応召、香川県王越村(現坂出市)にて上陸用舟艇の秘匿場建設に従事。

復員後、1946年、敗戦直後の混乱期に無資格のまま山口県徳山市(現・周南市)で小学校の教員を務める

のち山口師範学校(現・山口大学教育学部)研究科を修了し、1949年昭和24年)に美術教員として上京。

約10年間三鷹市の三鷹市立第五小学校や明星学園武蔵野市立第四小学校で教師を務めるかたわら、玉川学園出版部で本の装幀、イラストなどを手がけた。明星学園・国語部、教育科学研究会・国語部会などによる日本語指導(言語の教育)のテキスト『にっぽんご』シリーズの装幀も手がけたのもこの頃である。

この小学校教諭時代の教え子に後の筑摩書房取締役の編集者松田哲夫がおり、そのつながりで同社の多数の本の装丁をしている。

35歳のとき教師を辞して絵描きとして自立。1968年(昭和43年)、42歳の時に刊行された最初の絵本『ふしぎなえ』(福音館書店)で絵本作家としてのデビューを果たす。

0 件のコメント:

コメントを投稿