2019年3月18日月曜日

叡福寺と北古墳

叡福寺と右奥に北古墳

叡福寺(えいふくじ)は、大阪府南河内郡太子町にある仏教寺院
すぐ横に、聖徳太子の墓所とされる叡福寺北古墳(磯長墓〈しながのはか〉)があることで知られる。
山号は磯長山(しながさん)、本尊如意輪観音である。
開基(創立者)は、聖徳太子または推古天皇とも、聖武天皇ともいわれる。



宗派は真言宗系の単立寺院で、太子宗を名乗る。叡福寺北古墳について、宮内庁では第31代用明天皇皇子・第33代推古天皇皇太子聖徳太子(厩戸皇子)に治定している。
考古学的にも厩戸皇子の墓の可能性は高いとされるが、棺3基が認められることから、厩戸皇子に加えて皇子と同時期に亡くなった穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのおうじょ、用明天皇皇后で皇子母)・膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ、皇子妃)ら3人の合葬墓(三骨一廟)とする説が有力視される。
叡福寺伝によると、724年(神亀元)の創建と伝えられ、既存の古墳の祭祀のために、新たに建造されたようだ。 
聖徳太子は本尊の如意輪観音像、母は阿弥陀如来像、妃は勢至菩薩像で、太子の16歳像も祀られている。
太子の生まれは、旧暦1月1日、没年は2月22日とされ、現在は新暦の3月22,23,24日に法要が行れている。聖霊会では、10年に一度盛大な法要がおこなわれる。浄土真宗では、4月8日の釈迦生誕の日と併せているようだ。

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