2019年3月4日月曜日

古墳と太陽の関係



九州でも伊都国の平原古墳は、春分の日の日の出の方向をむいているが、近畿地方でも、太陽との関係が深いようだ。
浦間茶臼山古墳と箸墓、そして三輪山、伊勢神宮を結ぶ直線上には神社や古墳、また大阪峠や明石海峡など不思議なほどに色々なものが点在している。
そして、この直線の角度を調べてみると、10月10日の日の出の角度とほぼ一致することが確認できる。
即ち、10月10日に三輪山を遥拝しようとすれば、このような直線が現出することになる。
しかし、古代の日本にはもちろん太陽暦はない。暦のない時代、我々の先祖、古代人はどうやって10月10日を認識したのだろうか。
実はその鍵は箸墓にあった。暦のない時代においても、太陽の位置を確認すれば、「日にちを知る」ことが出来る。
太陽は一年をかけて、その日の出の位置が、冬至の日の一番南から、夏至の日の一番北まで一往復する。
10月10日を知るためには、その最も北から太陽が現れる夏至の朝の日の出を基準にし、そこからの日数を数えれば、それで良い。

  箸墓の中心軸は、ちょうど夏至の日の日の出の方向を向いている。このことから箸墓造成当時にあって、当時の古代人に夏至が認識されていたことは明らかだ。
夏至は、閏年の関係もあるので、毎年少しづつ前後するが、大雑把にいえば、6月22日である。そして、その6月22日から110日後が、10月10日にあたる。
つまり、古代人が夏至から110日後に三輪山の方角から登る太陽を遥拝していたと仮定すれば、10月10日の直線上に見られる奇妙な一致は、必然の結果と理解することが出来る。
 さらにこの10月10日というのは、現在の伊勢神宮における最も大切なお祭り、神嘗祭の日程に非常に近接している。
神嘗祭とは、一年の収穫を神に捧げるのがその本義で、農業社会において、一年に一度の最も大事な収穫祭が発展したものと考えられている。
(岡上佑氏のブログより引用)



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