2019年3月8日金曜日

中西金作:経歴と博多電気織







 明治35年生まれの中西金作氏は中西織に生まれ20歳まで家業に従事し、入隊した大刀洗航空隊の無線電信隊で通信技術を学ぶ。
除隊後、父親が苦労してつくる紋紙造りの自動化に取り組み、理研の無給研究員となり2年で、写真や図柄を紋紙なしで織物にすることに成功した。 電送写真やテレビもない頃に、光電管により、原図のスキャン処理をして、織り糸の上下動を電話交換機のリレイコイルにより実現させた。昭和7年に恩賜発明賞、昭和8年に朝日賞をうけ、有名人の肖像画や仏像画や名所の風景画などの織物商品を製作しはじめた。

戦時中は、博多織業界も縮小されたが、彼の大宰府工場は、海軍指定の疎開工場兼研究所となり、通信技術関連の部品改良などで、多忙であった。

敗戦直後は、再び肖像写真の織物が主な仕事となり、マッカーサー、毛沢東、周恩来など外交上の要人用贈り物の注文があったが、その後は受注減で苦しい時代が続いた。

地元ベンチャー企業のを技術没落を残念におもわれた安川寛氏から、復活の可能性調査を私が命じられたのは昭和50年頃であった。
昔の真空管式の電気制御装置をトランジスター化し、画像処理装置はかなり傷んでいたので、安川氏の寄付された基金で製作しなおした。その後の事業化は安川関連のニューウェル社と天神のNIC社でおこなわれた。
中西金作氏は、もう70代後半になられていたが、良い後継者不在で、事業化は小規模で終了したようだ。

その後のコンピュータ技術の進歩を博多織に取り入れる研究は私も少し試みたが、県の工業試験所などでもとりあげ、博多織協会の展示場などでPRされた。
電気織り作品例




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