2019年3月21日木曜日

飛鳥の王都変遷の跡



飛鳥地区(左が北;右が南)


推古天皇が豊浦宮(とゆらのみや)で即位(592年)し、持統天皇が藤原宮へ遷都(694年)するまでの約100年、明日香の地域に各天皇が宮殿を置いた。 
文献に拠って多少表現が異なるが、
推古天皇→豊浦宮(とゆらのみや)、小墾田宮(おはりだのみや) (聖徳太子の時代)
舒明天皇→飛鳥岡本宮 、田中宮
皇極天皇→後小墾田宮、飛鳥板蓋宮、飛鳥河辺行宮
斉明天皇→川原宮、後飛鳥岡本宮、両槻宮
天武天皇→浄御原宮(きよみはらのみや)
といった場所に都宮を変遷した。

宮殿の所在地は、現在に至るまでそれほど明確に判っているわけではない。場所によっては重なっているところもあるようだ。
飛鳥寺や石舞台は観光地で有名だが、王宮の跡は殆ど観光地になっていない。上の観光地図の黒丸は王宮跡だが、記入されていないのが多いのは、跡の場所が明確でないからだ。

総称としては、南は橘寺、北は香久山までの飛鳥川右岸の地域を飛鳥京跡と総称している。 
飛鳥板蓋宮というのは645年の有名な大化の改新で、中大兄皇子や中臣鎌足らが蘇我入鹿を討ち果たした場所である。

板蓋と名付けられたのは、瓦屋根が出始めた時代に、まだ板の屋根だったからである。

0 件のコメント:

コメントを投稿