2020年12月21日月曜日

天正時代の筑前立花城

大河ドラマ「麒麟が来る」で、信長が天下を取ったつもりになり、年号を天正と変えたシーンがあった。しかし天下は 平和にならず、戦国がつづく。信長は天正10年に本能寺の変で死亡するが、天正の年号は19年までつづく。


筑前の国での天正時代の立花城を中心に出来事をピックアップしてみると、前年に立花城を攻め落とした戸次道雪がすぐ、宗像氏貞を制圧して和睦の条件に、天正元年に妹の色姫を後妻に娶っている。

2年に大砲2門が立花城に入る。

3年に城督を娘の誾千代に命じる。

6年に大友軍が耳川の戦で島津軍に大敗する。

7年に生の松原で、立花軍は原田勢と戦う。

8年に西筑前で、竜造寺軍と戦い和睦する。

9年に高橋統虎が、立花家の養子に入る。

11年に立花、高橋軍が宗像軍と戦い、許斐城を落とす。

12年に色姫が自殺する。

13年に秋月軍との戦に出陣中の道雪が病死する。

14年に宗像氏貞が病死する。

    島津軍の北上で、岩屋城にて高橋軍が玉砕する。

    立花城も包囲されるが、秀吉軍の九州上陸により、島津軍は撤退する。

15年に島津軍は秀吉軍に降伏する。大友宗麟死亡。

    立花統虎は、柳川領主として移動する。小早川隆景が筑前入りして、立花城 

    に入り、名島城も築く。

秀吉が、関東の小田原や東北の伊達を平定するなど、天正は19年まで戦は続き、国内平定

後に文禄と改訂される。しかし朝鮮出兵でまだ戦国時代は続く。

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