聖徳太子が、中国の皇帝に「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや。」という文書をだしたという。
しかし、その1500年も前に、アッシリア帝国では、エーゲ海の東側を「acu アス 東側 日出地」と呼び、西側を「ereb エレブ 日没地」と呼んでいた。
「アス」は現在のトルコ(小アジア)地方をさしていたが、ローマ帝国が、「acu」に地名接尾辞「ie」をつけ、「acuie アジア」とよんだ。古来アジアはトルコ地方のことであった。
ギリシャ語でトルコ地方を、アナトリアと呼ぶのも、日出る国の意味である。トルコ地方がアジアの始まりで、いまもアジアの西端であり、日本は極東である。
「ereb」はフェニキア王の娘エウロペの物語となり、ギリシャ神話で、エウロペが雄牛にのって巡った地域を「ヨーロッパ」と呼ぶようになったという。
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