インドのヒンズー教の教えは、人生を学生(がくしょう)期、家住期、林住期、遊行(ゆぎょう)期の四期に分ける。
学生期は、子供のころ、人生の準備期で、あとすぐ仕事をし、家庭を持ち、子供を育てる家住期に入り、やがて子供が大きくなって家を出て行くころから、仕事と家庭のしがらみを離れて自由に生きる林住期の一時期を過ごし、あとサトリを開いて「聖者」となった人間を除けば、たいていの人間は林住期の後、家に戻る。あと何をするか、死ぬだけである。
死の準備をするのを終活期と最近では言っている。
断捨離にはじまり、介護施設に入って、子供たちに面倒をかけない現代人の考えは、自分の体得した哲学を説いて廻る聖者や、家も財産も放り出して頭陀袋ひとつで遍路の旅にでる遊行期とは、全くかけはなれている。
五木さんは「ウツの時代」だと言う。ニヒリスト聖徳太子は「世間虚仮」と言った。凄い言葉だ。
五木さんは「遊行期」は、大いなるものに還っていく時期だという。それは大いにうまく「遊ぶ」こと。おしめを替えてもらうようになっても、それは還ることのひとつ、自分の生まれた「玄」の世界に還って行くことだとの達観。
だからこそこの「ウツの時代」に遊び、オトナとして遊びのなかにこそ死中の活路を見つけよう。
もしかしたらその中にこそ、きたるべき新しい時代の活路があるかもしれないよ・・といった五木さん流の励ましだ。
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