最近傾国の美女「楊貴妃」関連のTVを二つみて、その数奇な運命をあらためて知った。
玄宗の妃であった武恵妃が、その息子李瑁の妃に選んだのが楊貴妃であった。李瑁は皇太子に推されるが、武恵妃が死去したため、皇太子がら外された。
さらに楊貴妃は玄宗に見初められ、一時的に女冠となった。これは息子から妻を奪う形になるのを避けるためであり、実質は内縁関係にあった。その後、宮中の太真宮に移り住み、玄宗の後宮に入って皇后と同じ扱いをうけた。
楊貴妃は容貌が美しく、唐代で理想とされた豊満な姿態を持ち、音楽・楽曲、歌舞に優れて利発であったため、玄宗は国政を忘れて、遂に亡国の道をたどったことは、『長恨歌』により有名である。
楊貴妃の生まれは蜀の国で、レイシ(ライチ、茘枝)を好み、嶺南から都長安まで早馬で運ばせたという。その道路をレイシ(ライチ)の道という。
安禄山と楊貴妃が養子縁組をし、宰相の楊国忠と安緑山との対立をうみ、安禄山の乱から、さらに安史の乱にすすんでついに死をむかえた。
楊貴妃の墓は世間体をはばかって質素なものだったが、先妻の武恵妃の墓は豪華なものだった。
近年、先妻の武恵妃の石室が盗掘され、米国に売られていたことがわかり、協定により中国に返還された。犯人は元映画関係者で、いま服役中である。
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