2021年6月23日水曜日

沖縄戦慰霊の日と長勇中将の墓地

 沖縄慰霊の日だが、地元福岡・粕屋出身の長勇中将が、沖縄戦の参謀長として、摩文仁丘の洞窟内の第32軍司令部で、第32軍総司令官の牛島満大将とともに割腹自決した話は、最近では余り話題になっていない。

長勇中将



私の中学同級生長武人君の叔父にあたる人物で、以前に沖縄の自決の洞窟や、福岡の土井の江辻山にある長勇の墓地に昔お参りして、ブログで報告した。



最近はどれくらいの人がお参りしているのだろう。


沖縄には沖縄県と南西諸島の守備に任じられた第32軍司令官の牛島満大将と参謀長の長勇中将を祀っている黎明之塔がある

牛島大将
木柱の墓標(部下が埋葬し、建てたものと思われる)がつくられた後、沖縄米軍基地建設のため多くの労働者が日本本土から来島、その中には元部下も多くあり、元部下や沖縄の関係者、沖縄仏教会の協力により、中央に三角のコンクリート柱に「黎明之塔」と塔名が明記され建立された。昭和37年10月南方同胞援護会の助成により現在の慰霊塔に改修された。


しかし沖縄では、長第32軍総司令官の牛島満大将や、長勇中将らの評価は低く、つぎのような批判もあるようだ。

{第32軍を美化して、自衛隊沖縄部隊が慰霊などしていますが、総司令官や参謀長 ら軍首脳の腐敗と堕落、無能極まりない作戦指揮、沖縄民衆を地上戦の盾として地下壕に籠って多大な犠牲を強いた戦争責任は、ほとんど忘れ去られています。
 第32軍が南部に撤退した結果、数万もの沖縄民衆が避難していた地域全体が最前線となり、天皇の軍隊、皇軍によって徴用されて弾運び、食糧徴発、伝令、偵察などを強要され、数万もの犠牲を強いられたことは忘れてはなりません。
皇軍指揮官が最期に自決した司令部跡からは、大量の高級ウイスキーの酒瓶が発掘されています。皇軍が護ったのは天皇裕仁とウイスキーです。皇軍は沖縄民衆を守るどころか、沖縄民衆を大量殺戮したのです。}

世界情勢が、防衛費増税の時代に移りつつある現在、沖縄慰霊の日の評価も、少し変化するでしょう。 合唱。

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