西方浄土筑紫嶋
古代で西方の嶋を筑紫(竹斯)嶋となずけた。
2016年4月25日月曜日
東アジア海の歴史
アジア大陸の東側にある日本は極東とよばれている。
この周辺の海の名前は、時代とともに、下の図の青、緑、赤のように、いろいろ変わってきた。
この海を渡った遣隋使や遣唐使の渡航ルートも時代とともに変化している。しかし大陸内(東方大平原)には隋、唐時代から大運河があって、長安まで舟で行けた。
新羅が朝鮮半島を支配していた時代には、この海域の運行も広く支配していたようだ。
円仁が長安に渡ったときには、新羅の船を多用していた記録がのこっているようだ。
現代は中国が勢力拡大の触手をのばしはじめている。
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